七光保育所の夏でも少しひんやりとした玄関先で、毎朝見送りの母に私はほんの少しも駄々をこねずにお別れをしていました。今となっては、母に寂しい思いをさせてしまっていたのではないかと反省しています。
それ程に楽しい保育所で、私は毎日何をしていたんだろう。春夏秋冬を振り返れば思い出すのは外の景色が多く、保育園生の散歩範囲とは思えない遠方にも気軽に出かけていたように思います。
園内での体育祭や夏祭りなども鮮明に記憶に残っていますが、イベントのない普段は、友達と園内の遊具を端から端に渡り歩いては、いかに高度な攻略が出来るかを順番に競い、列をなして挑戦していました。身体を使った遊びに加え、誰がどれだけ高度っぽい攻略を発案出来るかを自慢しあっていたように思います。疲れ果てるまで遊んではお昼寝をし、成長し年長に近づくほど眠るのが惜しかった毎日でした。
室内での楽しみは、はさみとのりを使い先生と一緒に少しずつ完成させる工作で、季節のイベントで作っては誇らしげに家に持ち帰っていました。卒園が近くなると、自分の名前の漢字の書き取りがマンツーマンで集中的にありました。楽しさをあまり見いだせなかった私は、どうして楽しくない事をしなければならないのだろうと思いつつも先生に褒められようと頑張っていました。
あの頃先生はお母さんの分身であると思っていたので、見ててくれた?褒めてね!と必死でアピールしていたように思います。先生にもお子さんが居ると知った時は、当たり前であるはずなのに複雑な感情を抱きました。
卒園してからも保育所はふたつ目の家であるかのように感じており、二十年以上経った今でも、暖かな場所であると私は思っております。